鳥取県西部の道祖神・サイノカミ
米子市淀江町
米子市淀江町
依り代.左
中型自然石の前面を整え、双体神立像が線刻されています。
向かって右の男神は剣、左の女神は宝珠を所持。
右側には削り取られた跡があり、左側には明治三十四年一月日の文字。
出典には、中型の依り代が西原村から盗ってきたものと書いてありますが、文字が削ってありますのでこちらのことでしょうか。
依り代.中央
ゴツゴツして大きな🍙型の自然石に社殿風の線刻と彫込み、中には浮彫り線刻の双体神立像。
笏扇像です。
こちらは、小谷山の石で作ったと出典に書いてありますので、小波浜オリジナルの依り代のようです。
彫込みの左側に、
明治三十二年 十二月日
小波濱村
世話人 長谷川林太郎
渡邉安蔵
石工 西原村 延原三郎二
と彫られています。
依り代.右
駒型の加工石に線刻と彫り込みで神殿を、中には双体神立像が浮彫されています。
実は砂利に埋まっていて全体像が見えないので断定するのはどうかと思うのですが、出典に記載されていること、また尾高上市に類型だと思われる依り代があるので立像としました。
向かって右の男神は笏、左の女神は扇を所持。
実は砂利に埋まっていて全体像が見えないので断定するのはどうかと思うのですが、出典に記載されていること、また尾高上市に類型だと思われる依り代があるので立像としました。
向かって右の男神は笏、左の女神は扇を所持。
頭のはんぺんが非っ常に特徴的な図案で、烏帽子であった意匠が退化したものか、謎は深まるばかりです。
この辺りで多く見られる烏帽子タイプとは明らかに一線を画すデザインで、複数体現存していますので仮にはんぺんタイプとでもしておきましょうか。
※てきとう
サイノカミ
小波浜公民館前に大小三体のサイノカミ(道祖神)がある。一番大きいのは明治中期に近くの小谷山の石でつくり、中型のものは、西原村のものを盗って来て祭り、小型のものは個人宅地内にあった(大・中のものは別の個人宅前にあった)。
三体共、昭和50年親友会(若者会)が現在地に移設した。
淀江町誌(1985)より/個人名伏せ